九寨溝
第15の省 四川省に到着です。おめでとうございます!
北西は青海省、北は甘粛省及び陝西省、東は重慶、南は貴州省及び雲南省、西はチベット自治区と接する。
天険の要害に守られた急峻な山岳地帯に位置すること、東部に四川盆地が広がり内陸部にもかかわらず温暖で肥沃な米作地であることから「天府之国」と称される。また、海には面していないが中国最大級の湖瀘沽湖を擁し、水産物、特に蝦の一大産地でもある。かつての巴蜀のうちの巴国にあたる重慶は従来は四川省に属していたが、1997年重慶直轄市として分離した。省北部の岷山山脈や、省西部、南部にはチベット族、イ族、羌族など少数民族が多い。四川省北部はジャイアントパンダの生息地として知られる。
人口:330万人 (2017年)
明末清初の動乱期に、反乱軍の張献忠によって四川省で最大300万人ほどの大虐殺が行われ(屠蜀(中国語版))、古代から続く四川人はほぼ絶滅した。その後の100年間に湖北省・湖南省・広東省からの移民が流入し復興した。
1926年、イギリス軍によって万県市街が砲撃される(万県事件)。
1938年、日中戦争の結果南京を追われた蔣介石率いる国民政府は重慶に国都を移している。その後、日中戦争終結後の1946年に国民政府は南京に戻るが、国共内戦が激化すると蔣介石は再び重慶に逃れ、1949年12月に成都を経て台湾に脱出している。
1949年12月27日に人民解放軍が成都を占領し、四川省は中華人民共和国の実効支配下に入る。
これとほぼ同じくして西康省の康定も占領、人民政府は西康の名目上の領域ではなく、中華民国時期に西康省政府が実効支配していた地域(カム東部)だけを管轄領域として、西康省蔵族自治区を発足させた。西康に名目上属していたカム地方の西部についてはそれまでチベット政府「ガンデンポタン」が掌握していたが、「西蔵和平解放」の一環として翌1950年に行われたチャムド戦役の勝利により、占領下に置いた。中国人民政府はこのカム地方西部を西康省蔵族自治区に組み込むことはせず、別途この地に「昌都解放委員会」を設置して、「西康」とは切り離した。
1955年に西康省チベット族自治区は独立した省からカンゼ蔵族自治州に格下げされた上で、四川省に吸収合併された。昌都解放委員会の委員たちは翌1956年に発足する「西藏自治区籌備委員会(チベット自治区準備委員会)」の委員となり、ここに、清末の1905年以来、形成が模索されてきた「西康」という地域的枠組みは姿を消すことになった。
1997年に重慶が直轄市へ昇格。
九寨溝
成都ジャイアントパンダ繁育研究基地
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