外灘(ワイタン、Bund)
第32の省 上海市に到着です。おめでとうございます!
中国の商業・金融・工業・交通などの中心地。強力な世界都市であり、英国のシンクタンクZ/Yenグループが2021年3月に発表した世界金融センターランキングによると、ニューヨーク、ロンドンに次ぐ世界3位。アメリカのシンクタンクが2021年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界10位の都市と評価された。長江河口南岸に位置し、河口島である崇明島、長興島、横沙島などを含む。北部から東部は江蘇省・西南部は浙江省と接する。東は東シナ海(東海)に面する。市街地は、長江の支流である黄浦江を遡ったところにある
人口:2,632万 (2019年)
1920年代から1930年代にかけて、上海は中国最大の都市として発展し、イギリス系金融機関の香港上海銀行を中心に中国金融の中心となった。上海は「魔都」あるいは「東洋のパリ」とも呼ばれ、ナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した。こうした上海の繁栄は、民族資本家(浙江財閥など)の台頭をもたらし、階級闘争的な労働運動が盛んになっていた。
1925年に上海から始まった五・三〇事件は、中国における大規模な民族運動とされるが、同時に社会主義的労働運動の台頭を示した事態であった。こうした状況を懸念した浙江財閥は、蒋介石と提携し反共クーデター(上海クーデター)を決行させた。なお、中華民国の下で1927年に上海特別市となり、1930年5月、上海直轄市が成立している。
1932年には、上海日本人僧侶襲撃事件などを原因に第一次上海事変が起きた。1935年には、中山水兵射殺事件や日本人が経営する商店が襲撃される事件が起きた[16]。1937年には、大山中尉殺害事件後に第二次上海事変が勃発した。中国軍機の爆撃を受けた上海共同租界では多くの市民が犠牲となったが、日本軍によって上海共同租界への中国軍の侵攻は阻止された。1941年には、太平洋戦争の勃発と共に上海共同租界は日本軍に接収された。1949年の中華人民共和国成立により、外国資本は香港に撤収したが、1950年代から1960年代にかけては工業都市として発展した。
1978年の改革開放政策により、再び外国資本が流入して目覚ましい発展をもたらし、上海市指導部から江沢民、朱鎔基、呉邦国、曽慶紅、黄菊ら中国共産党の政治局常務委員などの指導部を輩出した(上海閥)。
1992年以降本格的に開発された浦東新区が牽引役となって高度経済成長を続け、2010年には世界189カ国が参加した史上最大の国際博覧会である上海万博を開催して国際都市としての上海は復活を遂げた。
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