天津古文化街
第36の省 天津市に到着です。おめでとうございます!
華北平原海河の五大支流の合流する所に位置し、東に渤海を、北に燕山を臨む。市内を流れる海河は天津の母親河とも呼ばれる。
環渤海湾地域の経済的中心地であり、中国北方最大の対外開放港である。天津の北西120 kmにある首都北京市とは高速道路、高速直通列車、京津城際線によって、30分から2時間以内で結ばれている。元々は海河の河港であったが、河口の塘沽に大規模な港湾やコンテナターミナル、工業地帯が形成されている。
人口:1,386万万人(2021年)
1404年「天子の津」であったことを記念して「天津衛」(天子の渡し場という意味の軍事基地) が設けられた。これが天津の名のはじめである。「衛」とは明代において、5600人規模の軍隊編成をさす。それだけの規模の軍隊が駐屯する城がこの地に築かれ「衛」は天津の略称にもなった。また、天津は北京に至る重要な門戸であったことから、別名「津門」とも呼ばれた。明、清両代南方からの物資 輸送はもっぱら大運河が利用され、天津は商業都市として繁栄した。
近代天津は、北京の外港として国際的にも重要な地位を占めるにいたった。アロー戦争後に結ばれた北京条約 (1860年) によって、天津は開港を余儀なくされた。英・米・仏・独・日本が次々と租界を獲得した。義和団事変後ロシア・ベルギー・イタリア・オーストラリアも租界を獲得した。一地域に9カ国の租界が存在したのは天津だけであった。また中国の近代化をめざした洋務運動の中心の一つとなり、北洋学堂、天津機器局などが19世紀末創設された。
1949年、中華人民共和国の成立により租界は完全に消滅した。同時に天津は、中央直轄都市となる。建国後、新港の建設や水利工事が行われた。1976年に発生した唐山地震では大被害を受け、市街地の67%の住宅が被災した。その後住宅 建設と都市計画に力を入れ、84年には沿岸開放都市に指定され、塘沽区には経済 技術開発区が建設されている。
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天津古文化街
天津アイ(天津之眼)
海河文化広場
黄崖関長城
天津には三大名物と言われる絶品グルメがあります。
・麻花(マーファー)
・狗不理包子(コウプリパオズ)
・耳朶眼炸糕(アードゥオヤーン)
(注意)天津飯や天津甘栗は日本で言われているだけで、実際に天津の名物というわけではありません。
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